中山道をゆく

中山道を歩いています。景色も人も歴史も電車や車で味わえない、ゆっくリズムが嬉しい。

中山道を歩く 痛恨のコースアウト! しかし心解きほぐされる……野尻宿から倉本集落(20200922ー①)

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収穫を待つ木曽谷(野尻を出たあたりからの眺望) 


【1】二日目へ

30キロ歩くには20キロ歩く人以上のスタミナがいる。

昨日馬籠から三留野までの10キロそこそこでへたばり、野尻まで入れた全21キロが疲労困憊だった流れからすると、今日の行程30キロはボロボロになるかも知れないと覚悟して望んだ二日目。

野尻からスタートし須原、上松、木曽福島の29キロを行く。

津川駅前のホテル「プラザ栄」に部屋を取っていた。コロナの影響かなんだかわからないが夜の駅前は閑散としていた。本場香港料理だとかいう店でシュウマイとよだれ蒸し鶏(本格も本格、辛かった)を食べた。部屋に戻ってシャワーを浴びて布団に潜り込むとあっという間に眠りに落ちていた。狭いシングルの部屋で4時に起き、前日の記録をパソコンに書いたあと、6時40分の松本行鈍行に乗った。手帳に残したメモをまとめてエッセイ風に記録を残していくつもりだ。書きなぐりのメモや断片を文章に起こす手間と時間が惜しいのでパソコンを背負って歩いている。

 

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野尻宿 本陣跡

【2】野尻宿から(あの缶ビールをいただいた花屋さんに黙礼)

7時12分野尻着。リスタート。

昨日ビールをいただいた駅前のお花屋さんは7時半にもなっていないのにもう開いていた。鉢やラックが表に出ていた。「これもって行って」とアサヒスーパードライの缶を僕の手に握らせた女将さんの笑顔が浮かんだ。黙礼し道を進んむ。

野尻の宿場は、これがある、あれがあるというような町ではない。どこか眠たげな家が道筋の両側に並んでいる。街道はうねうねと曲がりくねりながらどっしりした山々の聳立する谷間の奥へと伸びている。七曲りだとかいうのだそうだ。

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野尻のねこちゃん

 ねこが一匹、道の真ん中であくびしていた。きょとんとしたように僕を見ている。「あんた誰?」と言いたげだ。「京都からきたんだけど、そこ通っていいかい?」と僕はつぶやいた。ねこの答えを待っていると家から人が出てきて「邪魔しちゃいけないよ」とか言った。ご主人の男性だ。笑っている。気さくな人だ。男性が車のドアを開けるとねこは急いで中に駆け込んだ。ご主人さまの出発を待っていたのか。気張らない佇まい、柔和な表情。ねこも人も情に深く、心も和やかで落ち着いていて、そこにいるだけで心が解きほぐされてくる。
 野尻の町は馬籠や妻籠よりずっと大きな宿場町だったくせに、今や道の両側に古ぼけた町並みを残すだけだった。北へ伸びる街道筋は右に木曽の巨大な山脈が立ちふさがり左は木曽川がごうごうと迫っている。七曲りの街道筋は山の手前で左にカーブしながら下っている。倉坂(くらんざか)とかいうらしい。宿場の外れまで来た。目の前に山塊が黒ぐろと迫っていた。

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倉坂(くらんざか)

 【3】歩きながら考えたこと(どうでもよいことを考えていた)

 野尻宿を外れると、再び面白くもない国道19号線に出る。ひっきりなしにトラックやダンプ、乗用車、外車、スポーツカーの類が猛スピードで行き交う。不用意に車道にたら轢き殺されかねない。木曽川に目をやると発電所が見えた(大桑発電所福沢諭吉の婿養子で大同電力社長・福沢桃介が建設した)。

 中山道はその道を辿る道標が整備されている。しかしそれは木曽路という街道筋が川の護岸工事や鉄道や国道の整備改良であちこちで寸断されてしまったせいで、形を留めている箇所が少ないということの裏返しである。標識なり案内板なり道標がなければ車の騒音を聞きながら国道を歩くだけになってしまう。

近年の一里塚ならぬ案内板は太太と矢印などが描かれている。それを頼りに道を踏むのだが、ときに思わぬところで矢印を出したりしているもんだから、ぼさっと歩いているとコースアウトする。

 

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大桑発電所


【4】調子が出ない・・・痛恨のコースアウト

国道を歩いている。トラックやバンが風を巻き上げ地を鳴らし往来する。どうも調子がでない。ザックの肩紐が食い込む感じがする。荷物が重い。調子のよいとき身体は靴音も心臓の音も呼吸もばらばらのようでいて一定の調和をたもっているように感じるのだが、どうもイマイチだ。歩きと心のバランスがずれている。苦しい。

苦しいということを感知したり考えたりするからしんどいのであって気を逸らしてみることも手だ。みるとガードレールに距離表示が出ている。119K3などと示されている。どうやら名古屋からの距離を表示していて、この場合119キロ300メートルということだ。100メートル置きに立っている。数えながら歩く。時計から時速を割り出し悪くない悪くないと言い聞かせながら道を踏んだ。

100を20回刻んだところだ。えらいことに気がついた。道が違うのではないか。ガイドブックによるとコースは、一旦山の中に入り小ピークを迂回するような設定になっていた。大きな迂回路だったので出発前に意識していたのだが、距離表示ばかりに気を取られ案内板を見落としてしまったのだ。

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道筋はときにJRに沿う

 本来の道筋は、JR大桑駅のところで山手に入り伊奈川に出るのが「正式」ルートなのだが、国道近くを破線で記されている江戸時代初期のものだという道、それすらも逸脱してしまっていた。呑気に現代の自動車道路を歩いてしまっていたのだ。

ここらあたりの道筋は木曽川の氾濫のたびに損傷し、踏むべき街道は変更に変更を重ね山中を通る形となった。大正年度に発生した水害記念碑なども山中に残されており、この木曽路を歩く厳しさを物語っている。

 

【5】標識の向きの問題
 持っているガイドブックは「ちゃんと歩ける 中山道六十九次」(山と渓谷社)。「ちゃんと…」とはとぼけたネーミングだがかなり詳しい。京都の丸善で探した中で一番ハンディーで安かったのがこれだ。現場の標識と地形に忠実でよくできている。

が問題は、現場の道標や表示版の向きが、東京から来る人に目に付きやすいようになっていることだ。丸太を立て面を削って「中山道はこちら」てな感じで矢印を描いている。その面が東京から京都へ「上洛」する人の目に付きやすい向きになっている。東向きなのだ。西国から東京に「出府」する人は、表示板の背中を見る形となり見落としやすい設計になっている。

 

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古刹 常勝寺山門

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常勝寺前の水舟

【6】須原宿
 標識に憤っても詮無いことだ。

 気を取り直し水を飲んでトラックやバンが疾駆する国道を走って渡りJRの背の低いガードを潜って坂を上った。目の前に山裾が迫っている。木曽山脈の最下部の山裾だ。その山裾に沿って道がついていた。そのまま歩く。寺が見えてきた。

 山門の前に、中がくりぬかれた丸太が置かれ、水がごぼごぼと竹筒から吐き出され落ちている。柄杓もある。丸木舟を模したようなものだ。水が滔々と落ち鮮やかに朝日を跳ね返している。これをこの土地では「水舟」と呼んでいる。

 須原宿に入っていた。

寺は常勝寺という。見上げると青々とした木々が覆いかぶさる長い石段の先に古色な山門があった。永享2年(1430)創建の木曽の名刹である。川の氾濫で何度も流されこの地に慶長3年(1598)に再興されたものだという。檜皮葺の山門をくぐる。閑寂としている。そばに山裾が迫っている。山容は見上げても視界に入り切らない。南アルプスの一角に僕はいる。

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須原宿の家並み 真っ直ぐな道だ

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水舟(材はさわらの木らしい)

 

 午前10時である。街道筋の家の佇まいは古びて落ち着いて山の色と溶け合っている。この宿場は町並みが真っ直ぐなため鉄砲町と呼ばれた。人の姿はない。しずかである。山風もない。造り酒屋なのだろう二階屋の軒に杉玉のぶらさがるのがみえた。脇本陣だった西尾家である。水舟が三つ、四つ。さらにもう一つ。いたるところに水が湧き出、竹を切った樋から、ただ鉄管から湧き出ているもの、蛇口から垂れ流されているものにいたるまで、山の恵みのさわらの桶に煌めく水しぶきを上げている。背後に百名山空木岳をいただく木曽山脈の巨大な山塊が控えている。雪や雨水等が遠く伏流水となって山肌をくぐり、長い年月をかけて地表に噴出してくる水を引いているのだ。その水を口に含む。うまい。舌で転がし唸る。やがて滑らかに喉空におちていった。
 幸田露伴も一夜を過ごし記録を残した宿場町だ。とろろ汁がうまかったなどと記している。月もよかったなどと書いている。正岡子規の句碑も残されている。

 

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まっすぐな家並み(左手が西尾家)

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正岡子規の句碑

【7】倉本の集落へ 歩く幸せ
 また歩く。言っている間に国道に出てしまった。

ぼんやりしていてはいけない。本来の街道から外れないように気をつけなければ。道があっているのかどうかふと迷う。不安になった。ちょうど脇に馬頭観音があった。人馬の往来を守ってくれる仏さま。これが出てくるなら中山道だ。間違いない。

 

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倉本の石仏群 牛頭天王の常夜灯がある

 歩く。

 道筋はJRと並走したりまた国道に合流したりしている。かと思うと山中に入る。細い坂道の左右に古びた家並み。静かである。車両の喧騒がかき消える。つかの間、山間の集落の閑寂を得る。坂を下るとまた国道だ。「七笑の酒」「酒の木曽路」の大看板が出ていた。いずれも木曽路の銘酒だ。倉本の集落が近づいているはずだが、どこから山手に上るかわからない。

 スキをみて国道を走って渡り斜面を登り左手に道を取る。車をガレージから出そうとしていた男性と目があった。会釈をくれる。穏やかな表情である。そう、野尻の花屋の女将さんがみせた人懐っこい柔和な表情、ねこのご主人の顔つきも柔らかだった。木曽路に入ってとげとげしい、そっけない顔を向けた人にまだ会ったことがない。

 軒の低い家の、まばらに立ち並ぶ道をぶらぶら歩く。車が脇を通り先で止まった。さっきの男性が芝刈り機をトランクから引っ張り出しているところに追いついた。

男性は言った。「どちらから来なすった?」「野尻から来ました」「どちらまで?」「福島まで歩こうと思っています」「気をつけていきなされ」

たったそれだけの会話だった。口元に優しさをたたえた優しい表情だ。本当にそう思ってくれているんだ、と思えてくるから不思議だ。木曽路の人は優しい。

 

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倉本の集落

【8】心解きほぐされる

 倉本の駅を指して坂を下る。稲刈りを終えた田圃で高齢のご夫婦が稲を干していた。僕の方を伺い見ている。「おはようございます」と声を上げると「どちらまで」という声が返ってきた。「福島です」「そうですか、お気をつけて」と会釈を送ってくれた。

 さっきの男性のほがらかさ、この夫婦の穏やかさ。心ほぐされる。歩かねば、行かねばという気負いが消えていく。

歩くために歩く、そんな歩くことの意味を考えていた。なんのために歩くかなどどうでもいいじゃないか、とさえ思えてきた。これほど感銘を受けたことはない。力さえ湧いてきた。いくらでも歩けそうな気がしてきた。