中山道をゆく

中山道を歩いています。景色も人も歴史も電車や車で味わえない、ゆっくリズムが嬉しい。

上松から木曽福島へ またも助けらた木曽路(20200922-②)

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木曽福島宿の崖家造り

 【1】上松から木曽福島へ(今ツアー最後の旅程)

 島崎藤村の「夜明け前」では主人公青山半蔵をはじめ宿場の人々は馬籠と代官所のある木曽福島を頻繁に行き来している。ざっと片道50キロ。須原泊との記述も度々みられる。一泊二日の旅だったというわけだ。いまその歩行路をたどっている。道筋はほとんどが舗装路であり、国道19号線の左右の山や谷に残る木曽路の断片をたどっている。

 10時半過ぎに倉本の集落を出た。街道筋には馬頭観音さまやお地蔵様のほかお墓も国道の方を向いている。谷間に開いた墓地だったところを国道が貫いたのだろう。

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国道に面した墓地

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諸原橋

 国道から逸れると木の吊橋に出た。諸原橋という。よく揺れる。昭和三十一年七月竣工とあった。対岸の諸原のわずかな家並みの集落を結んでいる。眼下を木曽川が音を立てている。山から削り落とされた白い岩石が蝟集し特異な色を放っている。

 立町の交差点に出た。桶に水が勢いよく注がれている。水流が透明な輝きを放ち美しい。界隈は須原の水舟の流れを汲み山の水とともに人々は生きている。

 街道は国道を渡りつ戻りつする。山道と谷筋の道が交互に現れる。山手に入る。坂を登る。くるみ坂と名がついている。宮戸の集落に入る。明治二十三年と刻まれた馬頭観音様の石碑が土手にちょんと乗せられている。手を合わせ旅の無事を祈る。

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立町の山の水

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宮戸の馬頭観音さま

 【2】上松へ(大相撲御嶽海の里)

 沢を渡ると荻原の集落だ。細い下りの道が初秋の昼前の日差しを浴びて穏やかに伸びている。国道に戻る。やがて小野の滝が見えた。ここから道はまた山に入る。坂を登りきると橋が架かっていた。川が山間に音を響かせていた。滑川といい橋も滑川橋という。コンクリートの親柱に「国道十九號線」とある。今の国道は木曽川に沿っている。そのことからすると、以前国道は山中に敷かれた中山道の上を走り宿間を結んでいたのであろう。

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寝覚めの集落 手前が「越前屋」 丸ポストのあるところが「たせや」

 新しい石畳の坂を登りきり林間をゆくと上松の宿だった。寝覚めの床の案内板が見えた。目の前に丸形郵便ポストが現れ古い二階建ての建物が二つ並んでいた。南側は蕎麦屋「越前屋」。島崎藤村十返舎一九松尾芭蕉も立ち寄ったとかいう。創業は寛永元年(1624)だ。北側のは立場茶屋「たせや」。たしか馬籠峠を妻籠側におりた一石栃立場茶屋にいた案内の男性が言っていた茶屋だ。「木曽路には休憩用の立場茶屋が数多くあったが、大名が利用できる上段の間がついた豪壮な建物はほとんど残っていない」と言っていた。数少ない例としてこの「たせや」を紹介してくれていた。出梁造りのそれは軒の深さ屋根の高さもなるほどの大きさだった。

 二つの家屋の間を谷へ下りると景勝地の寝覚めの床である。特に立ち寄らない。見帰の集落から南の方を振り返る。寝覚めの集落と刈取りを終わった田とそれを待つ稲穂の黃が美しい。

 

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見帰からの眺望(歩いてきた方向を眺める)

 上松の小学校前を行き坂を下る。大相撲の御嶽海祝優勝などの張り紙が見える。上松の出身なのだ。

 途中で名古屋からの夫婦連れと言葉を交わした。中山道をすでに踏破したとおっしゃって笑みをこぼした。寺坂を下りJR上松駅12時20分着。駅前だがコンビニや食堂らしいものはない。中津川で買っておいたおにぎりを二つ食べて昼食を済ます。

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上松の家並み

【3】いよいよ木曽福島木曽路の人にまた助けられた)

ここから木曽福島まで国道沿いのようだ。十王橋の交差点を直進し笹川の信号まで来る。JRの高架をくぐるのに歩道がないのにビビりながら歩き、そのまま川沿いに出た。国道19号線は架橋され木曽川を渡っている。しかしまっすぐ行くとトンネルに入る。中はどうも歩道はついてなさそうだ。ガイドブックは川筋を右に折れ一路北上しているいるばかり。指図はない。どうすりゃいいんだ、と橋の上をどこか標識に見落としはないか探しもって、来た道を後戻りしていると、白の計四輪車が私の脇で急停車した。後続の車からクラクションが鳴った。

「道わかりますか?」と中年の男性が窓を開けた。

 え? ほんとですか?

木曽福島へいきたいんですが、わからなくなって」

 また助けられた。

 何度目だろう。

「それならあそこから下ってください」と橋の袂の方を指差した。「案内が出ていますから」

 ありがとうございます、と僕は頭を下げた。いいえ、と言いおいて男性は車を出した。

 スピードが出ている国道で車を急停車させ、行きずりの者に道を教えてくれるなんて……。そんなことってあるだろうか。喜びが湧いてきた。

 教えられた通り橋の袂までゆくと階段を下りて木曽川沿いに出られることがわかった。

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木曽川沿いの長い道 この先に最大の難所木曽の桟がある

【4】いよいよゴール。だがもうヘロヘロ 

ここからは一直線である。残り4キロほど。1時間かそこらの辛抱だ。

川の上に道が白く伸びている。1キロかそれ以上か。白い単調な長さにげんなり。こんな景色を見たら誰でも嫌になる。道を教えられた感動もどこへやら。ともかく歩くぱらぱらと民家が見え、そこの犬にしつこく吠えられた。

 木曽の桟を越す。かつての難所もどこか遠い世界だ。沓掛の馬頭観音様のところでJRのガードをくぐるようにと、案内板は出ていたが、わかりづらく国道に戻った。

やがて道の駅が見えた。休憩する。二八蕎麦を食べた。木曽に来てまだ一度も蕎麦を食っていなかった。御岳がよく見える場所ということだったが生憎の曇り空で頂きらしいのが霞んで見えただけだった。 

 元橋まで来る。川を渡って直進すると御岳への道だ。そっちへ道は取らず国道19号線をゆく。林間を抜けると川面が白く泡立つダムが見えた。塩渕の集落に入った。一里塚がある。塩渕の地名は塩を運ぶ馬が川に落ちたからとか、川の湾曲部を「塩」と呼ぶだとか地名の由来には諸説ある。木曽町役場前を行くとJR木曽福島駅だった。15時50分着。

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木曽福島の関電ダム

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塩渕の一里塚の跡