中山道をゆく

中山道を歩いています。景色も人も歴史も電車や車で味わえない、ゆっくリズムが嬉しい。

木曽路の中心地 木曽福島宿 うまい蕎麦を食べて嬉しい旅路(20201025)

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福島宿 上の段の佇まい 江戸情緒を残す

【1】鳥居峠を目指しJR木曽福島駅に到着

 木曽福島には8時29分についた。宮ノ越、藪原、難所鳥居峠を越えて奈良井までの三つの宿たどって歩く。途中、宮ノ越宿の手前で中山道中間点も通る25キロの路程。7時間あれば踏破できるだろう。奈良井には16時着を見込んで駅を降りた。

歩行スピードを上げて通過する宿場の数を積み上げるか、宿場の佇まいを味わい文物を渉猟しながらゆっくり歩くかのどちらかだが、前回野尻から木曽福島まで、とにかく30キロを歩くことにこだわりすぎて道筋の史跡をたくさん見落としてしまった。何時までにどこそこに着く、などと距離と時間の計算ばかりして、肝心の木曽路のあれこれに気づかず通りすぎてしまったことが多かった。

 その反省にたって、今日は宿場宿場でゆっくり時間を取ることにした。

 

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木曽川に架かる行人橋からの眺め 崖家造りの民家が並ぶ 木曽川沿いに蝟集する谷間の集落

【2】福島宿

 駅前はまだ閑散としていた。すでに営業を始めていた観光案内所で馬籠から贄川までの木曽路十一宿の地図をいただいた。

 木曽福島。谷底の集落。木曽氏の流れを汲む山村家が明治維新まで治めていた木曽路の中心地であった。木曽氏は平安末期に断絶した源義仲嫡流に関係する一族とされているが本当のところはわかっていない。

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300年の歴史を持つ蕎麦屋「くるまや」本店

 

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蔵元「七笑」本店。木曽駒ヶ岳で一時を過ごした木曽義仲が滞在した場所が七笑。

その地名にちなむ。

 木曽川は細く泡立っていた。行人橋から眺めると左右の懸崖に住宅や商店の裏側が並ぶ。生活の工夫に溢れた崖家造りの家並だ。ぱっと見たところ、どこか山村の温泉街のような佇まいにも見える。300年の歴史をもつ蕎麦屋「くるまや」や木曽漆塗り発祥地だとかいう「よし彦」が向かい合って看板を上げている。さすが街道の中心だけあって飲食や生活雑貨の店にも長い歴史を持つものがあるということだ。木曽路の銘酒「七笑」の蔵元があるのもこの町だ。

本陣は明治の初めの火災で消失、一時町役場が立てられたが今は木曽町文化交流センターになっている。広い敷地だ。本陣の構えも並のものではなかったのだろう。

宿場は昭和2年(1927)の大火で大半が焼け落ちた。わずかに江戸時代を思わせる風情が上の段の通りに軒の卯建や千本格子、なまこ壁として残っている。

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本陣跡 いまでは文化交流センターとなっている

 

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大通寺へ続く路地のなまこ壁

 徳川家の直轄領だった木曽谷を治めた代官所、人の通行や荷駄の流通を取り締まった関所の跡など街道筋の息遣いが伝わる、宿場町の典型のような集落だった。

 代官所や関所の跡を見たのは初めてだ。代官といえば水戸黄門で登場する悪代官。御老公一行が悪行を働く彼らを懲らしめる全国行脚は絵空事であるが、こうして木曽路の奥地まで脚を伸ばし代官屋敷の跡を目の当たりにすると、記述や著作にとどまっていた江戸期の歴史が私の中で突如として輪郭をもって立ち上がった。代官さまは実在し、地方を統治し関所を守る町長村長として機能していたのだ。

木曽の代官山村家は福島関所の番も司った江戸末期まで続いた家柄だ。不遇のうちに死んだ木曽義仲の末裔の庇護を受け、関ケ原の戦いでは徳川家忠の軍を先導して功を挙げ、一帯を任された。尾張徳川家の元でこの地をよく治めた。

 木曽福島にはその木曽義仲の生きた跡もある。征夷大将軍に任ぜられながらも朝廷の裏切りによって、遠く近江国大津で命を落とした義仲は興禅寺の裏山に分霊され眠っている。武田信玄の娘で木曽家に嫁いだ真理姫の霊も大通寺に祀られている。

中山道の交通の要衝として、また権力の分水嶺として、人と人の思いの衝突と離反を垣間見てきた宿場町はまさに歴史の宝庫だった。そんな風に各史跡を伝いながら歩いているとあっというまに三時間が過ぎていた。11時半である。木曽路最大の難所鳥居峠を越えられるか。ここから7時間はかかる。16時を回ってしまう。日没が気にかかる。微妙なところだ。

 

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山村代官跡

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山村家の裃 陣笠など

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興禅寺に祀られる木曽義仲の墓

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福島関所跡の展示館

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福島関所跡東側に冠木門が立つ

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関所があった高台から木曽川を見下ろす 福島宿は谷間の集落だ

【3】老舗「くるまや」で新蕎麦を食す

風が強い。冬を思わせる固い芯のある風が落ち葉を巻き上げて通り過ぎる。

急がなければならない。関所入り口を模した冠木門を出る。12時前である。腹は空いているがどうしたものかとスマホで検索すると近くに蕎麦屋とある。どうかと思って近づくと、木曽川の行人橋のたもとに店を出していた「くるまや」ではないか。

駐車場は各地からの車やツーリングのバイクで満車状態。中に入る。なんとか座れそうだ。ざるそば二枚注文する。神棚の下に「新そば打ちはじめました」と張り紙がしてある。かき揚げ丼や天ぷらそばも気になるが、ここは蕎麦だけを食べてみる。

出てきた。木曽名物と赤枠のざるに、つやつやとしたもりそばが積まれている。しろねぎと大根おろしの薬味でいただく。濃いめの汁に浸して啜る。うまい。新蕎麦の、軽やかな癖のない風味。コクのある汁に大根おろしがぴりっとアクセントを付けている。

音を立ててどんどん啜り、舌を鳴らし唸る。時間を惜しむ如く一枚目を平らげ二枚目を味わう。ふわっと鼻腔をくすぐる野趣な匂い。蕎麦は野生な風味のコントロールの妙味である。その真髄をみたような思いだ。食べるほどにつるつると喉をおちてゆく。

たしか島崎藤村の「夜明け前」の一節に、主人公半蔵の次男を養子に出す馳走に新蕎麦をゆがいて大根おろしで食べた云々というのを思い出した。

ご飯を漬物だけで注文しおいた。白飯もうまく炊けている。漬物もうまい。

馬籠から木曽福島までを歩いた前回の徒路は美味しいものにありつけなかったが、今回はどうだ。一発で絶品にありつけた。うまいものを食うと嬉しくなる。旅路の幸先がいい。さあ鳥居棘が越えられるかどうか。

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蕎麦「くるまや」 木曽大橋の店

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もりそば ぴかぴか つるつる うまい!

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