中山道をゆく

中山道を歩いています。景色も人も歴史も電車や車で味わえない、ゆっくリズムが嬉しい。

中山道を歩く 旅は情け 至福のビール(三留野から野尻)20200921-⑥

 

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馬頭観音さま

【1】三留野 南木曽駅でやっと飯にありついて(前回続き)

 ガイドブックは国道19号線と轍をほとんど一にして塩尻、松本へと進んでいる。馬籠、妻籠、三留野、野尻の四つの駅路を結んで日没までに歩く。

 南木曾駅前のセブンイレブンで腹ごしらえをして態勢を整えた。14時30分だ。今日のゴール地点野尻まで残り二里半10キロほど。余分に見繕って3時間あれば完踏できる。まだ日がある内に野尻につくことができるということだ。焦ることはない。ブラブラ歩いても間違いなく着く。

 15分ほど前に転がり下りてきた坂道を登り返し中山道に戻った。腹のむしは落ち着いたが疲労感がましたような気がする。腹休めのためにもっと休憩をとった方がいいのかもしれないが、元来が怠け者の僕だ、休めば休むほど「いやいや虫」が勝ち、このまま南木曽から中山道を撤退してしまうかもしれない。

 歩いているうちに目も覚めるだろう。とぼとぼと歩きはじめた。古ぼけて眠たげな低い二階屋がぱらぱら立ち並ぶ道筋を何も考えずに歩く。家も少なく町並みも短い。大火でもあって江戸期の山家は焼け落ち、往時の姿を維持できなかったのだろうか。

 やがて道筋は山手から下り国道19号線に合した。ガードレールの内側を歩くかと思えば、木曽川沿いに街道は走る。

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険しい木曽川沿い

 【2】険しい道筋

 今の国道は木曽川沿いの山を削り、また絶壁を拡幅し東海と信州の交通量を支えようとしたものであるらしい。この幹線道路ができる前までの道筋は峻険な悪路で崖の上を行くようなものだった。断崖に桟(木を並べ棚のようにしつらえて歩道としたもの)を設置して足場を確保したというが、かなり危険な行路であったことは間違いない。殿様の駕籠かき、牛馬、徒士、騎馬の何百人と縦隊を組む参勤交代の行列も、幕末に将軍徳川家茂に降嫁した天皇家和宮様の夥しいほどの花嫁行列も、この深い谷沿いの、か細い道筋を本当に歩いたのだろうか、この旅を始めて、ことあるごとに「奇跡だ」と呟いてみているが、実感としてそう思う。

 草臥れてちょうどよいベンチがあったので腰を下ろす。脇に立っている石碑になんと明治天皇御休憩云々とある。ご維新を、つまりこの世が一新されたことを満天下に知らしめようと明治天皇は全国を巡行された。その長大な旅の一節がこの木曽路の一角でも語られたということなのだろう。

 地図を見るとこの先の柿其橋を渡った対岸に南の寝床という木曽川景勝地があるらしい。立ち寄っている時間はないな、と水を飲み、また立ち上がりとぼとぼと歩きつづける。

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木曽路に日暮れの影が迫る

【3】木曽路に夕映えが なぜ歩くのか

 木曽路の山の端に日暮れの影を映し始めた。谷あいの日暮れは早い。

 何のために歩いているだろうとふと思う。

 マラソンランナーは走りたいから走るという。登山家は登りたいから登るという。僕は歩いて東京まで行きたいから歩く。そう決意したから歩いている。決めたことを反故にするのが気に沿わないから京都からの旅路を続けている。止めてもいいけど止めたらこれまでの歩いた250キロ以上もの行程の、時間も金も無意味に帰する。止めたらアカンし止まっても焦燥が高まるだけである。

 ペットボトルの中がポチャポチャ音を立てている。スタスタとスニーカーの音が重なる。二つがバラバラに音を立てながらも微妙なポリリズムとなって歩行に一定のリズムを与えてくれる。どちらの音もまだ耳障りになってきていないところからすると僕の疲労はまだ序の口だ。

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放水路の中を歩いているような地下道


 【4】旅人を慈しむ石仏様の眼差し

 道筋はJR十二兼駅を過ぎ地下トンネルをくぐる。JRと国道の下を通って山側に入るのだ。金属パイプで足場を組んだ通路の下に谷の水が勢いよく流れている。ほとんど放水路である。トンネルを出て坂を上っていく。崖の下を走る国道は渋滞だ。見通せる限りの長さで車列はほぼ動かない状態だ。先の方で事故でもあったのだろうか。この分では1キロぐらいだと徒歩の方が早いかも知れない。そう思うとふと笑いがこみ上げてきた。そう僕はそれ以上の距離をずっと歩いている。山の彼方に陰影が深まっている。時刻は4時。馬頭観音さまに頭を垂れ旅の無事を二言三言のつぶやきに込める。道はアップダウンを繰り返す。中山道は再び国道を横切りJRを越えて木曽川沿いに進んでいく。

 

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国道の石仏。かつてはこの道筋を中山道が通っていた。

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生け垣に収められた石仏

 国道の壁面に埋め込まれるようにして往来を見守る観音さまもあれば生け垣の茂みを祠代わりに道筋を見守る観音様もある。街道沿いにはあまたの馬頭様、お地蔵様、道祖神様が往来を見守る。石に掘られた仏は、風化し、顔も姿も判然としないが、旅の人を労り牛馬を慈しんだ風土が行路に息づいている。

 日没が迫ってきた。山の端に残照が映え木々に覆われた街道筋には暗がりが生まれ始めた。木漏れ日にはまだ力強さが残っている。いがぐりが青々と落ちている。ヒナギクの白く映えている。孟宗は中に姫を宿しているかのようだ。朝陽は力強く夕陽は優しい。一日の終わりを生き物に託すかのように優しい光で包んでいる。

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日暮れが迫る街道筋

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残照の中で

 

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木曽路は秋

【5】人生最高のビール 

 まもなく野尻だった。駅に着いたら一息入れよう。駅でビールでも飲もう。スマホで調べると駅前に酒屋があった。身体は疲れていたがビールのことを考えると急に元気が湧いてきた。街道は国道から離れ道筋に民家が立ち並びが見えだした。古い二階家があり軒下をみると「西のはずれ」とある。屋号を「はずれ」とした西村家の住宅だ。野尻の宿場の一番西、ということらしい。

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「はずれ」の西村家住宅

 いよいよ一日の徒路の終着点だ。街道は曲がりくねりながら細く伸びている。JRの駅はすぐそこだ。酒屋の看板が見えた。しめた。そこで缶ビールを買ってと思ったが、近づくとシャッターが下りている。自販機もない。なんてことだ。ああ、僕のビール! と胸の内で叫んでいた。
 途方に暮れていると、隣の花屋から女の人が出てきた。店の女将さんらしい。不躾を承知で尋ねた。「近くにコンビニないですか?」「コンビニですか?」女将さんらしい人はちょっと驚いた様子言い「あるけど、かなり遠いよ。どうされました?」「ちょっとビールを買おうと思ったんですが、隣が閉まってまして」

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最高のビールの店前 隣の酒屋は見ごとに閉まっていた

 僕は中山道を歩いている者で今日は馬籠から来たことも付け加えた。「ああそうなの」と女の人は目を丸くした。「でも隣は今日、生憎休んでますね」。

 僕は天を見上げた。すると女将さんらしい人は「ちょっと待ってて」と言い置くと店の中に入って行った。待つ間に店の屋号は「やまろく」さんというのが分かった。しばらくすると女将さんが缶ビールを手に笑いながら出てきて「冷えたのこれ一本きりしかないけど、持っていってよ」とアサヒスーパードライの缶を僕に握らせた。傍らでご母堂か姑さんかわからないがご年配の方も笑っている。「これもね」とカレーせんべいの袋も握らせようとする。

「そんな、もったいない」と私は一応固辞した。「いいのよ、いいのよ。私はこれから飲み会があるから、もっていって」「ほんとですか」「いいよ、いいよ」

【6】優しさ

「夜明け前」の一節にこういうのがある。「旅人に親切にもてなすことは、古い街道筋の住民が一朝一夕に養い得た気風でもない。椎の葉に飯を盛ると言った昔の人の旅情は彼らの忘れ得ぬ歌であり、路傍に立つ古い道祖神は子供の時分から彼らに旅人愛護の精神をささやいている。至るところに山岳は重なり合い、河川は溢れ易い木曽のような土地に住むものは、殊にその心が深い」(第一部第五章)

 中山道では行き交う人からお辞儀といっしょに「こんにちは」と挨拶をいただくことがある。関西ではそうはいかない。京都から大阪まで「京街道」という道を歩いたが挨拶の交換があったためしはない。中山道、とくに木曽路では旅人に対する気遣いが優しさを帯びている。眼差しが温かい。中津川から東が特にそうだ。

 この日9月21日に歩いた妻籠でも和菓子屋の店員さんが空になった水筒に井戸水を補給してくれた。そして花屋さんの女将さんの気遣い。どこの誰ともわからない男に誰が缶ビールとせんべいをごちそうしてくれるだろうか。こういうのを最高のおもてなしと言わずしてほかに何があるだろうか。(9月21日 馬籠から野尻20キロを歩いた)

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いただいたカレーせんべい