中山道をゆく

中山道を歩いています。景色も人も歴史も電車や車で味わえない、ゆっくリズムが嬉しい。

中山道を歩く 妻籠から三留野(4キロ弱)空腹を抱えての旅路は記憶喪失を誘発します(20200921-⑤)

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彼岸花 木曽も京も結ばれて

 
 【1】空腹を抱え恋しい妻籠を発つ

 妻籠を発った。空腹を抱えながら。澤田屋さんでくりきんとんをひとつ頂いたものの、そのあと食べ物屋さんをもの色した。早朝7時過ぎにJR名古屋駅きしめんと天むすで腹ごしらえしたきりだ。もう13時を回っている。
 妻籠宿に蕎麦屋は二つあったが満員だった。五平餅を焼く店もあったが、一本どころか何本食べるんだと白い目で見られかねないのでやめにした。情けない話だがいい歳こいて、何か食べたい、食べたいと思いながら歩き始めたのだ。

 

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妻籠東はずれの良寛の碑

 その一方で妻籠恋しさにも襲われる。町並みの佇まいに心打たれて出発するのが惜しい。後ろ髪を引かれるような追慕ももたげてきた。「鯉が岩」や「良寛の碑文」を横目に、宿場の外れまできて、もっとここにいたい、夜まで待ってその佇まいを目に収めて帰りたいという思いは募ったが、木曽福島までの50キロのこの旅を完遂する京都を出てきたときの決心が最後に勝った。でしぶしぶ歩き始めてものの、子供みたいに腹が減って弱音を吐きそうになったのだ。
 そんなこんな複雑で情けない気持ちを抱えて坂を下る。緑の標識が所々に出ており、それを辿っていけば南木曽駅まで辿り着けそうだ。4キロ足らず1時間ほどの道筋なのでわけはない。途中コンビニのひとつくらいあるだろうと歩行を続けるがやっぱり近所にない。あきらめるんだ。と叱咤するが長くはもたない。
 きまぐれに彼岸花の群れを写真に収めてみたりしながら行くものの、馬頭観音さまやお地蔵さまには目も気も向かない。帽子のひとつくらいとってお辞儀ぐらいすればいいのにさっさと歩くばかりである。大人気ないことである。

 

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家並みの白い部分が木曽川の巨石群 奥の吊橋が桃介橋

【2】木曽川の巨岩群に目を剥く
 そうこうするうちに前の方の空気が広がり木曽川が視界に現れた。川面が巨岩巨石に埋もれている。上松宿の寝覚の床をはじめ川沿いにはと奇観名所が夥しい。目前の景色は白い花崗岩の堆積に占められている。家並みの上に平べったいだけのコンクリート橋桁が見え、そのさらに向こうに、主塔三本の吊り橋の影が見えた。事前の知識になく素通りしてしまったが、桃介橋と呼ばれ、向かいの読書ダム建設の資材運搬に使用された大正11年完成の近代化遺産のひとつである。
 山を削りに削って谷を形成し、蛇行しあるいは直行し木曽川は今の形に収まった。岩石群はその歴史の産物だろうし、一度この大河が暴れると巨岩の群が同時に暴れる危険極まりない恐ろしさを想起させた。
 檜林の間に、木曽川の姿を目に留めながら急ぐと、また視界が開け広大な敷地に木材がうずたかく積み上げられたコンクリートの空間が現れた。地図で確かめるとどうやら南木曽駅の材木ヤードであるらしかった。
 それにしても壮観である。たぶん木曽の山々から切り出して丸太にした檜の集積場なのだろう。檜など木曽五木一本首一つと言われた封建時代なら何本の人首が並んだか知れない。ここの丸太はそのうちにJRの貨車に積み替えられて、中津川などに送られるのであろう。

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桧丸太のヤード

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木曽山脈が奥に迫る

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三留野宿の佇まい 時代を想起させる

 【3】やがて三留野宿
 緩やかに曲がりくねりながら駅路は続く。右手は急傾斜の山裾。左手は狭い平地が木曽川に遠慮して付いており、谷間の集落が道筋の左右に眠たげに佇んでいる。どうやら三留野宿に入ったようである。どこかに宿場名を記した標石か矢印かあったかもしれないが、見落したののかもしれない。町役場がありその崖の下に南木曽駅の古ぼけた駅舎が見えた。
 もう一歩も歩くことすら嫌になっていた。7時過ぎに朝メシを食ってからもう14時をとっくに回っている。さっきからずっと熱中症予防の塩飴ばかりなめていたがもう我慢ならない。妻籠の銘菓澤田屋さんで入れてもらった井戸水も尽きかけていた(あのご厚意がなければ飲み水にも事欠く旅路だったのだ)。このあたりで何か食いもんを腹に入れておかなければ野尻に辿り着くことも覚束ない。
 探すとやっとセブンイレブンが一軒あった。道々自動販売機すらなかったところにようやくオアシスが現れた。坂の下に徒歩3分と出ている。転がるように坂道を下り駅の方に向かうと、懐かしいばかりの緑の「7」のお馴染みの店構えが見えてきた。そのときほど生きた心地が立ち現れた記憶はない、といえば大袈裟だろうが、コンビニを神かゼウスかと振り仰いだ。入るとハイカーやドライブの観光客が昼飯を買い漁ったあとで、スパイシーカレーの売れ残りしかなかったが、金を払うと店の陰に入って人の目も構わず貪り食ったのである。
 空腹は思考力を奪うことがある。特に私はその傾向が著しい。おかげで三留野宿の記憶はほとんど残せなかったお粗末な一里の旅だったのだ。(情けないがまだまだ続きます)

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こんな民家の裏も中山道に指定されていた。