中山道をゆく

中山道を歩いています。景色も人も歴史も電車や車で味わえない、ゆっくリズムが嬉しい。

中山道を歩く 木曽路へ(20200921)

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島崎藤村揮毫石碑 「是より北 木曽路」」

 

1 自宅から中津川

  

 9月21、22日に「中山道を歩く」を再開した。2月24日以来7か月振りである。今回は木曽路の馬籠から福島まで7宿50キロを2日間で歩く。京都三条から数えて34宿目(250キロ/526キロ)。中山道69宿のほぼ半分まで歩いたことになる。

 

 朝5時に起きてコーヒーを飲み、バナナとにんにく一片で朝食を済ます。忘れ物(血圧の薬など)がないか点検し終わると早々に出発した。

 6時過ぎだった。いつもよりザックが重く感じた。少し寝不足っぽいか。

 ザックはNORTH FACEの45リットル登山用だ。空っぽだと1,5キロある。中に着替えのほかこのパソコンと一眼レフ、この二つで2,2キロ。1キロの水が入った水筒、本や地図、傘など諸々の備品の類。全部で6,5キロ。一泊小屋泊まりの登山なみの重量だ。

 パソコンなんて置いていけばいい。そう思ったがメモを取ってもどうせパソコンに打ち込む。考えたりしたことを文章に起こすにしてもワードファイルにキーを叩く。サラリーマンをしながらものを書く、時間が惜しい。旅の間、往復の電車の時間がもったいないので重いが背負って歩くことにした。

 なぜそんなことまでして歩くのか。もう歩き始めてしまったのだから仕方がない。富士山に登り始めせっかく7合目まで来たにもかかわらず、身体はどこもおかしくないくせに下山するのと同じだ。

登ると決めたから登る。歩くと決めたから歩く。

ただ歩くだけではつまらない。見たり考えたことを記録するということで付加価値が高まる。歩くという極めて原始的でシンプルで肉体的に何の鍛錬もいらないトライアルにフィロソフィカルな味付けをすることによって、もっとよい歩き方を模索しようと考えた。より疲れにくい歩き方、景観から学ぶべきもの、中山道という旧街道を歩くために準備すべきことなど、だ。そのために重いがパソコンとカメラを入れた。

10分あまりで駅についた。最寄りの近鉄丹波橋駅まで1キロ。スピードはいつも通りだ。僕は1キロを普通に歩いて概ね11分で歩く。右太ももに張り感。昨日までのランニングの疲れからだろう。6時21分の急行に乗る。6時半過ぎに京都駅。自由席券を買いホームに上ったらのぞみが入線してきた。38分発20号東京行き。予定通り。

 快晴。のぞみは鴨川を越えた。比叡山が明るい。トンネルを抜けると山科、山のひだが濃い。次のトンネルを抜けると滋賀県入り。石山(源氏物語の里石山寺がある)の工場群の景色が見え、瀬田川はあっという間に飛んで消えた。琵琶湖は視界に映りさえしなかった。気がついたら野洲だった。右手に近江富士・三上山の三角錐の山容が見えた。左手の彼方に比良山の長大な稜線が青々として聳えていた。日本海から押し寄せる雲の帯を背負っている。しかし空は高くどこまでも明るい。

 6時48分、近江八幡。琵琶湖畔に立つ八幡山羽柴秀次の居城)が見えた。京都から歩いたら15時間ほどかかる距離を新幹線でわずか10分ほどだった。

 田んぼはほとんど刈り取りを終え刈田の大地は中学生の坊主頭のように清々としていた。濃緑薄緑のパッチワークが東近江の平野に広がっている。

 やがて彦根城天守閣が浮かび上がった。すぐに視界は山肌に遮られた。佐和山である。石田三成が城主を務めた佐和山城があった。足下は中山道と国道8号線そして名神高速の3本の基幹交通網が並走している。フジテックのとんでもなく高いエレベーター研究塔が左手に迫り後ろに飛んで消えていった。

トンネルを抜ける。出ると背後に伊吹山の頂上付近が見えた。茶色にえぐられた襞をさらしている。関ヶ原は気づかないうちに通り過ぎ新幹線は南東に進路を傾け濃尾平野を突っ切ろうとしていた。石灰石採掘で中央部が無残にもえぐられた赤坂山が右から左に流れている。揖斐川を越えた。輪中の中に田んぼが青々と広がる。長良川、そして木曽川を越えると間もなく名古屋に到着した。

 

 名古屋駅で住よしの生卵と牛肉入りきしめん(640円)を食べ、キヨスクで「天むす」を買って駅のホームで食べた。きしめんはもちもちつるつるで大好物のひとつ。トッピングの方は牛肉が関西風の甘辛ではなく、甘みが強すぎて味は今ひとつ。いつものようにかつお節だけがかかっている「かけ」にしておけばよかった。「天むす」は名古屋人のソウルフードらしい。おにぎりの具材に小海老の天ぷらが入っている。入っているのではなく三角おむすびが海老天を背負ってのりをおんぶ紐にして巻いている、そんなイメージ。味の方は海老天の塩味でまずまず。お腹は膨れた。食べ過ぎ感があった。しかしこれが後で効いてくるとは思わなかった。

さて今回旅の起点にするのは岐阜県中津川。長野県はもう目と鼻の先。木曽路の宿場の旅館に泊まってもよかったがコロナが心配だった。で、安くてちゃんとした個室とシャワーがあり他人との接触機会が少ないという条件に合うとすると、ビジネスホテルしかないと考えた結果だ。条件に合うホテルは中津川にしかなかった。

中津川には9時6分の着の予定だったJR中央線が3分遅れて到着。危うく9時10分発の馬籠行きのバスに乗りそこねてしまうところだった。駅に到着してバス停まで走ったがすでに出発したあと。付近にいた別のバスの運転手が「信号の上の道を通過するはずだ」と指差して教えてくれた。諦めて次のバス(45分あと)にしようかと迷ったが、ともかく行ってみることにした。信号の向こうにトンネルがあり、トンネルの上を県道が走っている。サックを背負って100メートル走り、ビルの4階分の階段を駆け上がって県道に立った。バス停をさがしてキョロキョロしていると緑色の「馬籠」と表示を出すバスが現れた。バス停までまた走りなんとか間に合った。このバスに乗れたこともあとで効いてくるのだった。(続く)