中山道をゆく

中山道を歩いています。景色も人も歴史も電車や車で味わえない、ゆっくリズムが嬉しい。

中山道をゆく 初日 逢坂の関

2019年5月2日 中山道初日

 

 午前5時半に京都伏見の自宅を出て歩くこと4時間、9時半頃逢坂山の峠に立った。逢坂山は京都府滋賀県の境にある小山である。ここには京都・山城国と滋賀・近江国をわかつ関所が設けられていた。「逢坂の関」である。

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逢坂の関常夜灯

車が忙しく行き交う峠道で、音曲の神様とされる蟬丸が祀られる蟬丸神社がある。この盲目だとされる法師・蟬丸のことを知ったのは和歌だった。子供のとき正月に打ち興じた百人一首で「これやこのゆくもかえるもわかれては・・・」と詠み上げられると、頭巾を被った黄土色の法衣を着た坊主の絵だけはよく覚えていて、その上の句の出だしだけでスパッとカルタを奪取していたものだった。

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蝉丸神社

 江戸期に完成した中山道六十九次。全長534キロ。東海道と並ぶ五街道のひとつだ。京都三条大橋から草津宿まで東海道と道を同じくしている。大津宿はこの逢坂の関から十分足らずで順番から言うと京都の次の宿場だ。

 話は蟬丸のことではない。この神社がある峠からの眺めである。琵琶湖、淡海の見える景色である。滋賀県ではこの日本一大きい湖のことを「淡海」、「たんかい」または「おうみ」また古くは「あわうみ」とも呼んだ。

「たんかい」ではそのまますぎて情緒もへったくれもないが「あわうみ」と呼べば、どこかふわふわと、それこそ比良山や伊吹山、遥か鈴鹿の山系など四方の山々が春霞に煙る中に、水面が淡く青に染まる湖の光景が目の中に浮かび上がりそうなものである。

 いうまでもないが滋賀県はその土地の六分の一をこの巨大な湖が占める。滋賀県のことを近江と呼ぶのは都からの遠近だ。琵琶湖が「近淡海(ちかつあわうみ)」とされたのに対し遠い駿河浜名湖は「遠淡海(とおつあわうみ)」とされた。

 やがて「近淡海」は音が縮まって「近江」となり一方は「遠江」となった。琵琶湖の名は江戸期に測量技術が発展し形状が和楽器の琵琶に似ていることから命名されたのだそうだ。

 ほんの十年くらい前までは逢坂山の峠に立てばこの広大な「あわうみ」がかなりの奥行きをもってどーんと眼前に広がっているのが見えた。

 京都の三条方面から混み合う国道一号線を車でやっとのことで抜けて逢坂山に差し掛かりさて滋賀県だというときに、峠から日本一の湖の光景に出迎えられることはなかなかの趣向。そんじょそこらにない自然の仕掛けである。しかしそれも近年ではビルが高層化しその雄大な景観を得ることが難しくなってしまった。立つ位置をずらせばやっとのことで高いビルの間に挟まった湖が、縦に細く切り取られ短冊状になって見えるのが関の山である。

 JR大津駅からはもっとましな景色が得られる。駅前は片側二車線の大通りである。障害物は限定的で広々とした空と大地のはざまに淡海があわあわと伸びている様が実によく見える。駅を降り立ったとき、旅人はどんな景色かと期待するものである。JR大津駅の場合、晴れていさえすれば湖の雄大が目に前に広がっていることが期待できる。